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血統書の向こう側にいる“かまとも”たち — Pediという犬のSNS

犬を愛する人たちのための専用SNS「Pedi」。InstagramやXとは違う、犬中心のソーシャル体験とは。

Pedi SNSで出会ったおはぎ

朝の光がゆっくり部屋に満ちていく時間帯、 ふと画面の向こうに、うちの子とどこか似た横顔が流れてくる。 それはアルゴリズムが選んだ“おすすめ”ではなく、 血統書の向こう側にいる、まだ会ったことのない“かまとも”かもしれない。

犬を中心にしたSNS「Pedi」1は、写真を共有する場所ではない。 犬のルーツや家系、同じブリーダーを軸にしたつながりが、 静かに重なっていくネットワークだ。

 

かつてのFacebookやmixiのような、 ノイズが少ない“初期のインターネットの空気”がある。

誰かがそっとページを見に来た気配だけが残り、 押しつけがましくない距離感のまま、 犬と人の生活がゆるく交差していく。

犬を中心にした、もうひとつの「家系図」Pedi

Pediは、犬の血統書を起点にしたソーシャルネットワークだ。

プロフィールをつくり、お気に入りやユーザーの見つけ方を眺めていると、 InstagramやXとそれほど変わらないように見えるかもしれない。

でも、その“中心”がちがう。 ここでは人ではなく、犬の存在そのものが軸になる。 生年月日、血統書の番号、ブリーダーの名前。 ふだんは引き出しの奥にしまわれている情報が、 静かに輪郭を持ち始める。

そこに浮かび上がるのは、 血縁にも家族にもまとわりつかない、ゆるい“線”のようなつながりだ。 同じ日に生まれたきょうだい。 同じブリーダーのもとで育ち、別の街へ旅立った子たち。 人のSNSでは出会えない種類の“近さ”が、ここにはある。

 

そして、その距離感はどこか懐かしい。 フォロワー数やアルゴリズムではなく、 犬のルーツというシンプルな情報が、 静かに関係を育てていく。 かつて流行ったSNSのように、 “友達の友達”がじわりと広がるあの頃の空気が、そのまま残っている。

この“犬中心のネットワーク”があることで、いつも遊びに行くお気に入りの場所や近所といった環境をとっぱらった出会いがうっすらと帯びてくる。 同じ空の下に、似た重心で歩くきょうだいがいる。 その想像が、日常をすこし澄ませてくれる。

“かまとも”というつながり — 血縁とも、友達とも少しちがう距離感

Pediには、“かまとも”という独特の呼び方がある。 「同じ釜の飯を食べた仲間」── 同じブリーダーのもとで育ち、ともに最初の時間を過ごした犬たちを指す言葉だ。

血のつながりそのものとは少し違う。 でも、ただの“犬同士”よりも、どこか近い。 人間でいうと、生まれ育った町が同じだったり、 昔のクラスメイトの“兄弟”にふと再会するような感覚に近い。

 

Pediでかまともを見つけると、 不思議と生活のディテールが重なることがある。 似た鼻筋。 横から見たときの首まわりのライン。 歩くときに地面に落ちる影の形まで、 ほんのわずかに重なって見える。

でも、このつながりが良いのは、 近づきすぎないところだ。 メッセージを無理に送り合う必要もないし、 会いに行くわけでもない。 ただ、似た気配を持つ存在が、 別の街で暮らしていると知っておく。 その距離感が、すこしだけ安心をくれる。

SNS的な“盛り上がり”とは違う、 静かで、乾いた風のようなコミュニケーション。 人ではなく犬が中心にいるからこそ成立する、 やわらかいネットワークが“かまとも”の関係だ。

写真と“あしあと”がつくる、初期SNSの空気

Pediのタイムラインには、 必要以上に飾られた写真や強いメッセージは流れてこない。 生年月日、血統書、通っている病院、食べているフード。 生活の記録に近い情報が、ただ静かに並んでいく。

Instagramの速さとは少し距離のある場所だ。 “見せるため”の更新ではなく、 日常の延長で淡々と積み重ねられるプロフィール。 無理に装う必要がない分、 情報そのものがきれいに整っていく。

 

そして、Pediには「あしあと」という機能がある。 誰かが自分のページを見に来た気配だけが、 静かに残る仕組みだ。 通知も音もない。 画面の隅に、小さな影がふっと置かれるだけ。

それは“いいね”より、むしろ誠実だと思う。 賑わいを演出するでもなく、 承認を求めるでもない。 ただ犬の存在を軸に、 気配だけがそっと行き交う。

SNSが速すぎると感じる日でも、 ここは時間の流れ方が少し違う。 犬と犬、人と人のあいだにある距離が、 急かされずに保たれている。 アルゴリズムより、生活のリズムが優先されているような場所。

Pediには、そういう“初期インターネット”の静けさがまだ残っている。

Pediで広がる犬のルーツと街のレイヤー

Pediを使いはじめると、 日常の景色に、もう一枚うすいレイヤーが重なっていく。

夕方の散歩。 マンションの足元に落ちる長い影を追いながら、 「うちの子と同じ日に生まれたきょうだいが、 いまどんな街を歩いているんだろう」と、ふと思う。

海沿いの町かもしれないし、 山の近くかもしれない。 都会のビルの谷間を、似た重心で軽く走っているかもしれない。

 

そんな小さな想像の延長線上に、 “実際の出会い”が生まれることもある。

Pediをきっかけに、同じブリーダー出身の子とメッセージを交わし、 気づけば週末に公園で会う予定が決まっていたりする。 似た表情が向かい合った瞬間の、あの独特の静けさ。 ここは面影があるけれど、ここは違うねと自然と笑顔が溢れだす瞬間。 知り合いより近く、家族より軽い距離感。

つながり方は血縁だけではない。 通っている病院が同じだったり、 食べているフードがたまたま重なっていたり。 生活の“選択”のなかで自然に交差するポイントがある。 犬同士より、むしろ飼い主の暮らしの方がリンクすることもある。

 

プロフィールには、InstagramやTikTokをそのまま添えられる。 気になれば、日々のアップデートはインスタで追いながら “ルーツ”や“生活の背景”はPediでゆるく共有する。 SNSの速い時間と、Pediの静かな流れを それぞれの場所で使い分ける感じだ。

血統書という紙の奥に眠っていた情報が、 街の生活にすっと溶け込む。 その線が伸びていく方向に、 犬たちの物語がもうひとつ増えていく。

犬のルーツがつながると、日常の温度が少し変わる

Pediを眺めていると、 犬との暮らしが “ひとつの家の話” だけで閉じていないことに気づく。 どこかの街で、似た歩幅で散歩するきょうだいがいて、 同じフードを食べている子がいて、 通っている病院まで偶然重なる誰かがいる。

 

情報が早すぎる世界のなかで、 このサービスが保っているのは、 せわしさとは無縁の距離感だ。 かつてのインターネットにあった、 “気配だけが行き交うような関係”がそのまま残っている。

そのつながりがあるだけで、 街を歩くときの視界がすこしひらく。 見知らぬ犬にすれ違っても、 「どこかでつながっているかもしれない」というやわらかい予感がある。 ルーツをたどることが、 未来の生活を整えるきっかけになるという不思議。

 

あなたの相棒の向こう側には、 どんな“かまとも”がいるのだろう。

ゆるく覗いてみるだけでも、世界の輪郭がすこし変わるかもしれない。

Every walk, every wonder.

Footnotes

  1. Pedi公式サイト 親戚が見つかる、犬猫専用SNS「ペディ」