犬の時間の流れ方
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犬の時間の流れ方 — 彼はいつも、少し先を歩いている

犬の一年は、人の何年ぶんか。並んで歩いても彼の時計だけが少し早い。でも彼は速さを嘆かず、いつも「いま」に全部いる。

犬の時間の流れ方 — 彼はいつも、少し先を歩いている

夕暮れの散歩の帰り道、ふと気づくことがある。

数ヶ月前まで子犬だったはずなのに、もう落ち着いた顔をしている。去年の秋を覚えているだろうか、と思うそばから、彼はもう次の角の匂いを嗅いでいる。犬と暮らしていると、ときどき、時間の流れ方が自分とずれていることに、はっとさせられる。

一年が、同じ長さではない

よく知られた話がある。犬の一年は、人間の何年ぶんにもあたる、と。

計算の仕方には諸説あって、単純に何倍とは言いきれない。それでも確かなのは、彼らの一生が、私たちよりずっと速く進んでいくということだ。子犬はあっという間に大人になり、数年で私たちの背中を追い越すように歳を重ね、そして——気づけば、白いものが顔に混じりはじめる。

同じ食卓を囲み、同じ布団で眠り、同じ夕暮れを歩いていても、彼と私は、違う速さの時間を生きている。並んで歩いているのに、彼の時計だけが、少し早く進んでいる。夏が過ぎるのが年々はやく感じるのは、私が歳をとったからだけれど——彼にとっての一夏は、私のそれよりも、ずっと大きな一年だったのかもしれない。

「いま」に、全部いる

けれど、不思議なことがある。速く過ぎるはずの時間を、彼はまるで、惜しんでいないように見えることだ。

過ぎた日を悔やまず、来ない明日を憂えない。ボールが転がれば全力で追い、日が差せばそこで眠り、リードを手に取れば、まるで生まれて初めて散歩に行くみたいに喜ぶ。彼はいつも、「いま」に全部いる。時間が速いことを、たぶん彼は知らない。知らないまま、一秒残らず、その時間を生ききっている。

私たちは逆だ。時間が有限だと知っているのに、その多くを、過去や未来に持っていかれる。スマホの向こうの誰か、まだ来ない締め切り、終わってしまったこと。目の前で尻尾を振っている彼を、ちゃんと見ないまま、一日が過ぎていく。

少し先を歩く、その背中

犬は、いつも少し先を歩いている。散歩の道でも、人生の速さでも。

その背中は、私たちに教えているのかもしれない。時間は戻らないこと。だから、いまを生きること。彼の速い時計は、残酷なようでいて、ほんとうは贈り物なのだと思う。「一緒にいられる時間は、思っているより短いよ」と、彼はその生き方まるごとで、毎日そっと伝えてくる。

夕暮れが、日ごとに早くなる。一緒に歩ける明るい時間が、少しずつ削られていく。——だからこそ、その一回を、ちゃんと歩きたい。過ぎゆく速さを嘆くためではなく、いま隣にいる彼を、いまちゃんと見るために。

彼が少し先で立ち止まり、こちらを振り返る。早くおいでよ、と言うみたいに。

——いま行くよ。その「いま」を、私も、生きるから。