夕暮れが都会のビルの隙間に溶け、窓からやわらかなオレンジの光が部屋を満たす。ソファの端で丸くなる犬の横顔。その目の下に、ふと淡い影――茶色く滲む「涙やけ」。 「この子はデリケートだから」と片付けられることもある。でも、それは性格でも気質でもない。涙やけは、身体の設計と“水の流れ”のズレによって生まれる、小さな“構造のしわ”。今、この影の理由を、静かに確かめてみる。
涙やけとは — “性格”ではなく“身体の仕組み”の問題
犬の涙やけは、目の下の被毛が赤褐色に染まる現象だ。これは、涙に含まれる色素物質であるポルフィリン(porphyrin)が原因。涙が毛に付着したまま乾き、空気に触れて酸化・変色する。1
本来、涙はまばたきで目を潤し、余分なものは目頭にある涙点から通り道(鼻涙管)を通って鼻や喉へ流れていく。ところが、すべての犬がその排水経路で涙を処理できるわけではない。顔の形状、まぶたの構造、鼻と目の距離――それら“設計”の違いが、涙の行き場所を左右する。2
たとえば、鼻が短く、顔が平らな犬種(いわゆる短頭種)や、目が大きく前に出ている犬種は、鼻涙管の入り口が圧迫されやすく、涙が正常に排水されず、毛に流れやすい。特に、白や淡色の被毛を持つ犬では、色素の沈着が目立ちやすく、涙やけが発生しやすい。3 つまり、涙やけは“性格のせい”ではない。むしろ、その子の身体のつくり、涙の“流れ”の物理的なしくみによるもの。だから、理解の仕方を変えるだけで、ケアの道が開ける。
なぜ涙やけは起きるのか — 流れの行き場を失う涙
涙やけが起きる原因には、大きく分けてふたつ。涙が「流れ出す」こと、そして「通らない」こと。どちらか、あるいは両方が重なっていることが多い。2
排水経路の不全/構造的な問題
涙を鼻へ運ぶ鼻涙管が、生まれつき狭かったり、まぶたの位置・向きの問題でうまく機能しなかったり。こうなると涙は排水されず、目の下からあふれてしまう。このような構造的な事情は、とくに小型犬や顔の構造が特徴的な犬で目立つ。4
また、年齢やアレルギー、まつ毛の異常、まぶたの異常(まぶたが内側に巻き込むような状態)などで涙の通り道が妨げられる場合もある。2
涙の過剰分泌/刺激やアレルギーによる反応
刺激、アレルギー、目に入る毛やホコリ、花粉など外界からの影響で、涙の分泌が増えることもある。涙が増えれば、たとえ排水経路が正常でも、流れきれず毛に流れる可能性が高まる。5
また、涙自体に含まれるポルフィリンの量や、水の質/食事の内容なども涙の性質に影響し、変色の程度に関与する可能性が指摘されている。6
こうした“流れと止まり”のズレが重なりあい、ときにただの涙が、毛に――そして視界に淡い影を落とす。
病気や異変のサイン — ただの“色ジミ”ではない可能性
涙やけの背景には、単なる色素の沈着以上の問題が潜むこともある。たとえば、鼻涙管閉塞や涙嚢炎、またはまぶたの構造異常(まつ毛の異常やまぶたの反転など)といった、排水路の明らかな障害。これらが原因なら、涙やけだけでなく、炎症や不快感、さらには感染や皮膚トラブルにつながる可能性もある。
たとえば以下のようなサインがあるなら、ひとまず注意を。
- 片側だけ涙が多い/濡れている/いつもより湿っている
- 目の赤み、目やに、頻繁に目をこする・擦る仕草
- 涙の色が黄みがかっていたり、湿りや異臭、かゆみがある
こうした変化は、“ただの色ジミ”ではなく、目や涙の通り道の健康に関わるサインかもしれない。安易に「これがこの子の色」という前に、専門家(獣医師)に相談することを考えたい。7
日々のケアと暮らしの選び方 — “流れ”と“清潔”に光を当てる
涙やけは、多くの場合、毎日の“流れ”と“清潔”の積み重ねで改善や予防が可能だ。以下のような習慣が役立つ。
- 目のまわりの毛を短めに整える。毛が長くて目や鼻涙管を刺激したり、涙を毛に誘導しやすい場合があるため。
- 柔らかいコットンやぬるま湯で、こすらずにやさしく拭き取る。乾いたティッシュや硬い布は刺激になりやすく避ける。拭いたあとはきちんと乾かす。
- 生活環境の見直し。ホコリ・花粉・ハウスダストなど、目に刺激を与えやすい環境を整える。水の質や食事内容も、体の中の“水の流れ”に影響する場合がある。
- フードの見直し。アレルギーの可能性がある食材を避けたり、体質に合う食事への切り替えで、涙の分泌が落ち着いた例もある。
こうした暮らしとケアは、ただ「見た目を清潔に保つ」ためではない。犬とともに暮らす空気、その視界、そして肌や毛の質感。その細やかな粒度を整えるためにある。
視界の片隅で
涙やけは、その子の性格や気質から生まれるものではない。身体の“設計”と“水の流れ”のゆらぎが、淡く滲む影をつくるのだ。だからこそ、日々の小さなケア、環境の選択、目を向けるわたしたちの感度が、その影をやわらげる光になる。
窓から差す街灯のように、静かに、でも確かに。
