何もしなかったはずの夏のことを、なぜか、いちばんよく覚えている。
古代ローマの人々は、一年でもっとも暑いこの時期を「犬の日々」と呼んだ。その始まりは、七月二十四日。——この号が世に出る、まさにその日だ。
夏は、犬の名で呼ばれてきた
英語に dog days という言葉がある。盛夏、一年でいちばん暑くて、いちばん何もする気の起きない時期のことだ。
語源は、夜空でもっとも明るい星・シリウス。その別名を Dog Star、犬の星という。おおいぬ座でいちばん輝くこの星が、夏のあいだ太陽とともに昇り、ともに沈む。古代の人々は、その頃に暑さが極まると考えた。
だから、犬の日々。 星に犬の名を与え、その犬が連れてくる季節として、彼らはこのひと月を数えていた。
星の話の続きは、この号のARTにゆずろうと思う。ここではもっと近い場所の、足元でいままさに溶けている、もう一匹の話をしたい。
何もしないことに、かけては
昼下がり。 フローリングにお腹をぴたりとつけて、彼は伸びている。後ろ足を投げ出し、瞼は半分落ちて、名を呼んでも尻尾の先がぱたりと動くだけ。
何もしていない。 けれど、それでいい。
dog days という言葉には、もうひとつの顔がある。のんびりと過ごす時期、ごろごろする日々。うだるような暑さの前では、何かを成し遂げようとすること自体が、少しだけ野暮に思えてくる。
彼はそれを、たぶん私たちの誰よりも早くから知っている。
予定のない午後。冷たい床。傾きかけていく西日。私たちが「何もしていない」と呼ぶその時間を、彼はただ、まっすぐに生きている。
いちばん、残るもの
お盆が来る。 火を焚いて誰かを迎え、特に何をするでもなく、数日が過ぎていく。
そうして夏が終わって振り返ったとき、記憶にいちばん濃く残っているのは、たいてい、そういう日だ。旅先で見た絶景でも、打ち上がった花火の大輪でもなく——縁側で、彼の背中をただ撫でていた、なんでもない夕方のほうだったりする。
何もしなかった時間ほど、どういうわけか、あとになって残る。
何かを「した」記憶は薄れていくのに、ただ一緒に「いた」時間だけが、静かに濃くなっていく。犬と暮らしていると、そのことに、毎年この季節、気づかされる。
犬の日々は、もうしばらく続く。
そして聞けば、今夜あたりの空には、星が降るらしい。
——彼を起こしてしまうには、少し惜しい時間かもしれないけれど。
