「犬の日々」。その名の根っこは、ずっと頭上にあった。夜空だ。
何もしない夏の夜、ふと、空を見上げてみる。そこには、犬の名を持つ星と、いまの季節にだけ降りそそぐ光の物語がある。
なぜ、その星は「犬」なのか
シリウス。夜空でいちばん明るい星だ。そして古代から、世界中でなぜか「犬」と結びつけられてきた。おおいぬ座(カニス・マヨル)でもっとも輝く星だから、Dog Star——犬の星1。
古代エジプトでは、この星が夜明け前にふたたび昇ることが、ナイル川の氾濫の予兆だった。実りをもたらす豊穣の女神ソプデトとして、人々はこの星を崇めた。いっぽうギリシャやローマでは、太陽とともに昇るこの星が、夏の灼熱を連れてくると信じられた。暑さも、豊かさも、人はずっと、犬の星に重ねてきたのだ。
空でも、犬は隣を離れない
神話のなかで、シリウスは狩人オリオンの忠犬とされる2。地上で主に付き従ったその犬は、オリオンが星座になったのち、自分も星となって、なお主のかたわらを離れなかった。冬の夜空を見上げれば、オリオン座のすぐ足元に、シリウスはいつも青白く光っている。
姿かたちが変わっても、隣にいることをやめない。何千年も昔の人々が夜空に犬を見たのは、きっと、そう信じたかったからだ。——いなくなっても、ただ見えなくなっただけで、ほんとうはすぐそこにいるのだ、と。
足元で寝息を立てる彼を眺めていると、その願いが、ただの古い作り話には思えなくなってくる。
犬の日々に、犬の星は見えない
ここに、ひとつ不思議なことがある。「犬の日々」のあいだ、肝心の犬の星は、空に見えないのだ。
シリウスは、冬の星。夏のあいだは太陽とほとんど同じ方向にあって、昼の光に紛れ、夜空には姿を現さない。古代の人々が暑さの主として恐れた、まさにその時期に——犬の星は、見えなくなっている。
見えないのに、そこにいる。光の向こうで、確かに昇り、確かに沈んでいる。なんだか、その在り方に覚えがある。いつも当たり前にそばにいて、当たり前すぎて、ふだんは気にも留めない。足元の彼も、たぶん、そういう星のような存在だ。
代わりに、流れ星が降る
では、犬の日々の夜空に、見るものは何もないのか。——いや、ある。
毎年八月の半ば、ペルセウス座流星群がもっとも輝く。今年は、八月十二日の夜から十三日の明け方にかけてが見頃。しかも極大の十三日は新月にあたり、月明かりにじゃまされない、近年でも指折りの好条件だという3。ちょうど、お盆の夜と重なっている。迎え火を焚いて、誰かを静かに待つ夜空に、光が流れる。
縁側でも、ベランダでも、山あいの宿の庭でもいい。彼のとなりに腰を下ろして、ただ、空を見上げる。何をするでもなく、しばらくそうしている。すると、すっと、一筋。
犬の日々の夜空には、見えない星と、降る光がある。
いま、となりで眠る小さな寝息を聞きながら、これを読んでいる人がいる。初めて誰かと暮らしはじめた、最初の夏かもしれない。——その一方で、もう撫でることのできない背中を思い出しながら、読んでいる人も、きっといる。
どちらにも、同じ夜空がひろがっている。見送ったあの子は、犬の日々のシリウスと同じだ。いなくなったのではなく、いまは見えないだけ。光の向こうで、いまも変わらず昇っている。秋を待つまでもなく、ほんとうは毎晩、そこにいる。
空のどこかにいる犬と、足元にいる犬。おなじ星を、いっしょに見上げている夜。
犬の日々の夜は、たぶん、そのためにある。
見上げるためのメモ — ペルセウス座流星群 2026
見頃は、八月十二日の夜から十三日の未明にかけてと、十三日の夜から十四日の未明にかけての二夜。どちらも、夜更けから明け方に近づくほど数が増える。東京では十三日の午前三時台がもっとも多い。今年は極大の十三日が新月にあたる近年屈指の好条件で、空の暗い場所なら一時間に三十五個ほどが期待できる。
放射点は北寄りの空にあるけれど、流星は空全体に現れる。だから方角は決めずに、広く見渡すのがいい。目が暗さに慣れるまで、最低でも十五分ほど。レジャーシートに寝転ぶか、背もたれを倒して、楽な姿勢で空を預ける。
彼と並んで見るのなら——夏の夜でも、地面は思いのほか冷える。一枚、敷くものを。虫よけと、ひとくちの水も忘れずに。そして夜更かしの翌朝は、彼と二人、何もしない朝を過ごせばいい。
